コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

大覚寺 だいかくじ

7件 の用語解説(大覚寺の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大覚寺
だいかくじ

京都市右京区嵯峨大沢町にある真言宗大覚寺派大本山。嵯峨山と号し,嵯峨御所大覚寺門跡と称される。もとは嵯峨天皇の離宮であったのを貞観 18 (876) 年に寺としたもので,淳和天皇の皇子恒寂法親王を開基とする。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

だいかく‐じ【大覚寺】

京都市右京区にある真言宗大覚寺派の大本山。山号は嵯峨山。もと嵯峨天皇の離宮であったが、貞観18年(876)皇女正子が仏寺とした。開山は恒寂法親王。以後代々、法親王が入寺。のち、後嵯峨亀山上皇に続いて、後宇多上皇が入寺して中興。所蔵の後宇多天皇宸翰「御手印遺告」「弘法大師伝」は国宝。嵯峨御所。大覚寺門跡。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

大覚寺【だいかくじ】

京都市右京区嵯峨大沢町にある真言宗大覚寺派の大本山。嵯峨御所とも。本尊五大明王。876年,恒寂法親王が開創,歴代天皇の尊信を受け,皇子が入山した。亀山・後宇多とその皇統に属する上皇や皇子が住持となったことから,この系統を大覚寺統と称した。
→関連項目一円保小宅荘狩野山楽京都[市]嵯峨障壁画渡辺始興

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル大辞泉プラスの解説

大覚寺

京都府京都市右京区にある寺院。創建は876年。真言宗大覚寺派大本山、本尊は五大明王。大覚寺御所跡は国の史跡。いけばな発祥の地で「いけばな嵯峨御流」の総司所。

出典|小学館
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

だいかくじ【大覚寺】

京都市右京区にある真言宗大覚寺派の大本山。嵯峨山と号する。もと嵯峨天皇の離宮だった嵯峨院を,876年(貞観18)淳和天皇の皇后正子が寺に改め,所生の恒寂法親王を開山にして大覚寺と号したのが起りである。寺の東には嵯峨院時代の庭池である大沢池,西と南には有栖(ありす)川が流れ,池の北側にあった〈名古曾滝(なこそのたき)〉は有名で,平安時代から歌の名所としてもてはやされた。鎌倉時代後期には,後嵯峨・亀山の2帝が譲位したあと落飾して当寺に入り,ついで1308年(延慶1)後宇多法皇も入寺して当寺で院政を開始するに及び,嵯峨御所と呼ばれ,またこの時代に伽藍も整備された。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

だいかくじ【大覚寺】

京都市右京区嵯峨大沢町にある真言宗大覚寺派の大本山。山号、嵯峨山。もと嵯峨天皇の離宮だったが、876年淳和天皇の皇后が寺とし、恒寂法親王を開山とした。一時衰退したが、1308年後宇多天皇が再興し、門跡寺院として栄えた。後嵯峨・亀山・後亀山天皇が出家入寺した。客殿・宸殿の襖絵は狩野山楽派の筆。後宇多天皇宸翰の御手印遺告などの国宝を蔵す。嵯峨御所。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大覚寺
だいかくじ

京都市右京区嵯峨(さが)大沢町にある寺。真言(しんごん)宗大覚寺派の大本山。山号は嵯峨山。正式には旧嵯峨御所大覚寺門跡(もんぜき)と称し、嵯峨御所ともいう。本尊は五大明王。平安初期、嵯峨天皇は当地に離宮をつくり、譲位後は仙洞(せんとう)御所とし嵯峨院と称したが、811年(弘仁2)に空海に勅して五大明王像を刻し、五大明王の秘法を修せしめた。818年(弘仁9)春、疫病流行の際、天皇は紺紙金泥(こんしこんでい)の『般若心経(はんにゃしんぎょう)』を書写して心経堂を建て、空海が奉供した。この縁でいまでも心経写経を進めている。876年(貞観18)嵯峨天皇の皇女正子内親皇(淳和(じゅんな)天皇皇后)が嵯峨院を譲り受けて仏寺に改め、嵯峨天皇の孫にあたる恒寂(こうじゃく)法親王が開山となり、以後、代々法親王が入った。1268年(文永5)後嵯峨(ごさが)上皇が、続いて亀山(かめやま)法皇が入寺。また1308年(延慶1)には後宇多(ごうだ)法皇が入寺して伽藍(がらん)の造営に努めたので、大覚寺法皇と称せられ当山の中興開山とされる。亀山院、後宇多院の皇統に属する皇族が代々住持を勤めたので、この皇統を大覚寺統とよび、後深草(ごふかくさ)天皇の皇統である持明(じみょう)院統と勢力を二分し、南北両朝分立の原因ともなった。1336年(延元1・建武3)兵火により全焼、のち再建された。1392年(元中9・明徳3)南朝(大覚寺統)と北朝(持明院統)の講和のおり、南朝の後亀山(ごかめやま)天皇から北朝の後小松(ごこまつ)天皇に三種の神器が授受された歴史的舞台としても知られる。応仁(おうにん)の乱でふたたび焼失したが、豊臣(とよとみ)・徳川両家の外護(げご)によりしだいに旧に復した。江戸末期から明治初期にかけて衰退し、一時無住となったが、1876年(明治9)に宮中から200石を受けて復興し、1900年(明治33)に大覚寺派として独立した。[祖父江章子]

建造物・寺宝

境内には宸殿(しんでん)、正宸殿(以上、国の重要文化財)、五大堂(本堂)、御影(みえ)堂などがある。正寝殿(客殿)は桃山時代の書院造の様式で、11間(ま)ある各室は狩野山楽(かのうさんらく)・探幽(たんゆう)らの豪華な障壁画で飾られている。宸殿は江戸初期の宮殿建築で、後水尾(ごみずのお)天皇(在位1611~29)の寄進と伝える。内部の襖絵(ふすまえ)『牡丹(ぼたん)図』『紅梅図』(国の重要文化財)は狩野山楽筆とされる桃山障壁画の傑作。寺の東には中国の洞庭(どうてい)湖を模したという大沢池(おおさわのいけ)があり、古来風光の美しさで知られる。池の北東の名古曽(なこそ)滝跡は藤原公任(きんとう)が百人一首に詠んでいる。寺宝には、後宇多天皇宸翰(しんかん)「御手印遺告(ごていんゆいごう)」、「弘法(こうぼう)大師絵伝」が国宝に指定されるほか、絹本着色五大虚空蔵(こくうぞう)像、木造五大明王像、障壁画など国指定の重要文化財が多数ある。おもな年中行事に華道祭、万灯万華会(まんどうまんげえ)、嵯峨菊花展、『般若心経』の写経会がある。なお、当寺には嵯峨天皇が始祖といわれる、いけ花の流派「嵯峨御流(ごりゅう)」が伝わり、華道専門学校が設けられている。[祖父江章子]
『『古寺巡礼 京都 大覚寺』(1978・淡交社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の大覚寺の言及

【大沢池】より

…京都市右京区嵯峨の大覚寺東部にある池。庭湖,内沢,内池などの別称がある。…

【嵯峨院】より

…嵯峨山荘,嵯峨別館などとも呼ばれた。大覚寺の前身。嵯峨天皇は唐風文化の興隆につとめたが,みずからは風流を好み,晩年を嵯峨院で送った。…

※「大覚寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大覚寺の関連キーワード大覚寺派大窪寺京都府京都市右京区御室大内京都府京都市右京区嵯峨大沢町京都府京都市右京区嵯峨大覚寺門前井頭町京都府京都市右京区嵯峨大覚寺門前堂ノ前町京都府京都市右京区嵯峨大覚寺門前登リ町京都府京都市右京区嵯峨大覚寺門前八軒町京都府京都市右京区嵯峨大覚寺門前宮ノ下町京都府京都市右京区嵯峨大覚寺門前六道町

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

大覚寺の関連情報