愛宕郡
おたぎぐん
「和名抄」は高山寺本に「アタコ」、刊本に「於多岐」と訓ず。
蓼倉・栗野(栗栖野)・粟田(上・下)・大野・小野・錦部・八坂・鳥戸・愛宕・賀茂・出雲(上・下)の一三郷よりなり(和名抄)、およそ京都盆地の東北部分にあたる。全域が現京都市域。
「山州名跡志」には、
<資料は省略されています>
とある。北は丹波国、東北は近江国に接し、東は宇治郡、南は紀伊郡、西は葛野郡に接する。西の郡界は「山州名跡志」は平安京朱雀大路(現千本通)としているが、実際には所々により多少の出入りがある。平安京の造営により、愛宕・葛野両郡の一部が京域にとり込まれたが、右京の衰退により、葛野郡の東境が東進した結果であろう。
本郡には既に数万年以前より人間生活が展開していた。上賀茂本山町遺跡(現北区)からは旧石器が発見されているし、次いで北白川周辺には北白川小倉町遺跡(現左京区)に典型的なように縄文時代の居住も確かめられる。歴史時代においては、「山城国風土記」逸文が物語るように賀茂別雷神社(上賀茂神社、現北区)の鎮座がある。すなわち、大和国葛城から山城国相楽郡を経て現在の社地に至ったという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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