櫟田村(読み)いちだむら

日本歴史地名大系 「櫟田村」の解説

櫟田村
いちだむら

[現在地名]西淡町松帆櫟田まつほいちだ

慶野けいの村の東、倭文しとおり川中流北岸に位置する。北部丘陵地帯の谷々の水は倭文川に入る。かご池・さら池・かす池・おお池など用水池が多い。天正一四年(一五八六)一一月三日の淡路国御蔵入目録に「いち田」とみえ、高一六〇石が羽柴秀吉の蔵入地になっていた。正保国絵図に櫟田村とみえ、高四五七石余。天保郷帳では高四九四石余。反別戸数取調書では反別四九町七反余、高五四六石余、うち蔵入高二五八石余、高二八二石余は高仁尾内膳ら八名の給知。家数九七・人数三九七。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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