欄干橋町(読み)らんかんばしちよう

日本歴史地名大系 「欄干橋町」の解説

欄干橋町
らんかんばしちよう

[現在地名]小田原市本(ほん)町一丁目・同四丁目

中宿(なかじゆく)町の西、筋違橋(すじかいばし)町の東、東海道沿いの通町。北に新(しん)道を挟んで小田原城三ノ丸外堀に接し、西北端は戦国時代の大手口であった箱根口(欄干橋口)に通ずる。元亀三年(一五七二)五月一六日の北条家朱印状(県史三)に「自干橋船方村迄宿中之者、人足百余出之、可致掃除普請、自当月於自今以後、毎月当城惣曲輪掃除之日可致之」とあり、戦国時代には城下町の一画を形成し、宿中として宮前(みやまえ)町松原(まつばら)大明神の掃除普請役などを負担した。町内居住の外郎(ういろう)宇野氏に対する永禄九年(一五六六)五月二二日の北条氏康朱印状(同書)の宛先が「今宿町奉行宇野源十郎(吉治)」とあることから、「風土記稿」は今宿(いまじゆく)町を欄干橋町の古名とみている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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