日本歴史地名大系 「次年子村」の解説 次年子村じねんごむら 山形県:北村山郡大石田町次年子村[現在地名]大石田町次年子大高根(おおたかね)山(五四二・九メートル)の北麓に位置し、東は川前(かわまえ)村、西は堀内(ほりうち)村(現最上郡舟形町)、南は山内(やまのうち)村(現村山市)、北は大浦(おおうら)村。南西から北東に帯状に長く、中央を次年子川が北東流し、川を挟んで耕地が開ける。二年子とも記した。地内に縄文時代の大畑山(おおはたやま)遺跡、戦国時代の次年子館跡がある。次年子館跡は字台(だい)にあり、次年子川に張出した丘陵上に立地。台屋(だいや)城ともいわれ、三角形の形態で二重の空堀を残し縦堀もあった。森弥蔵家の祖先が館主となって構築したというが確証はない。元和八年(一六二二)最上氏改易後は山形藩領、寛永一三年(一六三六)幕府領となる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by