日本歴史地名大系 「次橋村」の解説 次橋村つぎはしむら 宮城県:志田郡松山町次橋村[現在地名]松山町次橋近世の松山郷の西北端にあり、西は下伊場野(しもいばの)村、東は千石(せんごく)村、南は大迫(おおばさま)村(現鹿島台町)に接し、北は鳴瀬(なるせ)川を隔てて青生(あおう)村(現遠田郡小牛田町)。寛永七年(一六三〇)茂庭氏により知行地付野谷地二〇〇町の開発がなり、新田二三貫文を加増された時の茂庭周防良元宛知行関係文書(茂庭家文書)に「松山之内次橋村 一、弐拾四貫七百七拾八文 本地」とある。正保郷帳に田三七貫五七一文・畑四貫四一三文とあり、ほかに同所新田二貫五一五文があり、旱損と注記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by