日本歴史地名大系 「正八幡跡」の解説 正八幡跡しようはちまんあと 秋田県:秋田市久保田城下久保田城跡正八幡跡北の丸の北部に別曲輪がある。宝暦八年(一七五八)閏七月一六日の「覚」(国典類抄)には「三ノ丸門七ケ所、建坪并八幡宮・稲荷堂・別当居宅・侍屋敷弐拾四軒共坪数弐万六千三百八拾七坪」とみえるから、三の丸の一部と思われる。当初ここに正八幡・稲荷社と、その別当寺金乗(こんじよう)院が造営された。正八幡は応永年中(一三九四―一四二八)佐竹義憲(義仁)が鎌倉若宮八幡を勧請し、常陸国太田(おおた)城に奉祀したもので、その時から巫女鶴と社務別当金乗院が奉祀し(佐竹家中総系図)、秋田移封とともにこの地に移した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by