正厳村(読み)しようごんむら

日本歴史地名大系 「正厳村」の解説

正厳村
しようごんむら

[現在地名]尾花沢市正厳

丹生にゆう村の南、丹生川右岸に位置する。村の東部で赤井あかい川が丹生川に合流、南は二藤袋にとうぶくろ村。枝郷に宮内みやうちがある。元和八年(一六二二)山形藩領、寛永一三年(一六三六)幕府領となり、安政二年(一八五五)より松前藩預地。正保郷帳では田方一千四一四石余・畑方四九石余。宝暦一一年(一七六一)の御巡見様御案内覚帳(二藤部文書)によれば高一千四三六石余、家数一〇九・人数四八一、馬四〇。寛政元年(一七八九)の村明細帳写(柳橋文書)によれば家数一〇三(うち寺院一・修験一)、人数五二七、馬三三。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《料理されるためにまないたにのせられた魚の意から》相手のなすに任せるより方法のない運命のたとえ。まないたの鯉こい。[類語]俎板まないたの鯉こい・薬缶やかんで茹ゆでた蛸たこのよう・手も足も出ない...

俎上の魚の用語解説を読む