日本歴史地名大系 「尾花沢市」の解説 尾花沢市おばなざわし 面積:三七四・九六平方キロ県の北東部に位置し、東は御所(ごしよ)山の連峰(船形山連峰)を境に宮城県加美(かみ)郡小野田(おのだ)町・仙台市、南は柴倉(しばくら)山(一二七五・七メートル)や甑(こしき)岳(一〇一五・五メートル)などの山塊を隔てて東根市・村山市、西は北村山郡大石田(おおいしだ)町、北東は翁(おきな)山(一〇七五メートル)、北は熊(くま)ノ返(かえし)山(八二八・二メートル)を境に最上郡最上町と、猿羽根(さばね)山塊を境に同郡舟形(ふながた)町と接する。東・南・北の三方が山岳地帯で、山地が市域の七一パーセントを占め、市域中央部から西方にかけては尾花沢盆地が広がる。同盆地を形成したのは御所山連峰などの奥羽山脈を源とする朧気(おぼろけ)川・丹生(にゆう)川・野尻(のじり)川などの諸河川で、各地に段丘・扇状地を発達させ、市の西部を北流する最上川に注ぐ。市域の集落と耕地はこれら河川の本流・支流域に広がる。盆地内のやや広い平地としては玉野原(たまのはら)台地・荻袋(おぎのふくろ)台・野黒沢(のくろさわ)台などがある。最上川にほぼ並行してJR奥羽本線・国道一三号が南北に、尾花沢市街から宮城県へ向かう国道三四七号が東西に走り、市街地を中心に前述の流域の諸集落を結ぶ道路網が発達。近世までは尾花沢盆地から他地域に出るには東の鍋越(なべこし)峠・軽井沢(かるいざわ)峠、北東の翁峠、南は背中炙(せなかあぶり)峠、北は山刀伐(なたぎり)峠・猿羽根峠などの峠道を越えなければならなかった。気候は内陸性気候を呈し、年平均気温摂氏約一〇度、日照時間は短く、低温・多湿・多雪地域で、全国的な豪雪地帯として知られ、積雪は平地でも二メートルを超す年が多い。市名は近世羽州街道の宿場町、幕府代官所の所在地であり、また市の立つ在郷町として当地方の政治・経済・文化・交通の中心であった尾花沢村を継承する。〔原始〕尾花沢盆地に人々が住み始めたのは後期旧石器時代からとみられるが、同時代の確たる遺跡は発見されていない。縄文時代には前述諸河川の段丘面を中心に多くの人々が住したとみえ、早期から晩期にかけて約八〇ヵ所の遺跡が確認される。おもな遺跡としては早期では朧気川上流左岸の細野(ほその)遺跡、前期の荻袋、中期の原(はら)の内(うち)・オトリ沢(ざわ)・日陰楯(ひかげだて)・野尻Aなどの各遺跡、後期の横内(よこうち)遺跡、晩期のサヤ堂(どう)・明光寺(みようこうじ)の各遺跡がある。細野遺跡は県下で最初に確認された早期遺跡で、貝殻文の土器群が発見された。牛房野(ごぼうの)川流域には多くの縄文時代中期遺跡が分布するが、とくにオトリ沢遺跡・二口(ふたくち)遺跡からは多量の完形土器が出土している。後期の横内遺跡からは住居跡・埋甕・線刻礫などが出土した。弥生時代の遺跡はまだ確たるものは発見されていない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「尾花沢市」の意味・わかりやすい解説 尾花沢〔市〕おばなざわ 山形県東部,尾花沢盆地にある市。東根市,村山市の北に位置し,東の奥羽山脈を境に宮城県と接する。1954年,福原村,宮沢村,玉野村,常盤村と合体。1959年市制施行。平安期に特産品としてワシやタカの尾羽を納めていたことが地名の由来とされる。中心集落は最上川の支流丹生川(にうがわ)の段丘上に位置し,羽州街道に沿う宿場町として発展。また農村と山村との物資交流地点にあり,1の日,7の日の市場町としても繁栄した。寛永13(1636)年山形藩の領地から江戸幕府の天領となる。同 18年には幕府の代官所が延沢銀山より移動。江戸時代は牧馬が盛んで馬市が開かれた。季節風が多量の雪をもたらすため,日本屈指の豪雪地となっている。米作を主に畜産,工芸作物やスイカの栽培も行なわれる。南東部の御所山(船形山)の西麓一帯は御所山県立自然公園に属する。面積 372.53km2。人口 1万4971(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by