大石田(読み)おおいしだ

精選版 日本国語大辞典 「大石田」の意味・読み・例文・類語

おおいしだ おほいしだ【大石田】

山形県北東部、最上川中流域にある地名江戸時代、最上川最大の船着場で、幕府川船役所も置かれた。
※俳諧・奥の細道(1693‐94頃)最上川「最上川のらんと、大石田と云所に日和(ひより)を待」

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改訂新版 世界大百科事典 「大石田」の意味・わかりやすい解説

大石田[町] (おおいしだ)

山形県中央部,北村山郡の町。人口8160(2010)。村山盆地北端に位置し,最上川中流域を占める。中心集落は最上川東岸にあって古くから最上川舟運の中継地として栄えた大石田で,JR奥羽本線が通り,山形新幹線の大石田駅がある。船大工から家大工に転業する者が多く,大工・左官が多いことで知られる。農業が基幹産業であるが,近年果物缶詰,電子製品の工場も誘致されている。冬季積雪は2m以上におよぶ豪雪地帯だが,スキー,雪祭などで観光客の誘致をはかっている。芭蕉,正岡子規らの文人が訪れ,最上川を詠んだ句碑がある。
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出羽国村山郡の北部,最上川中流部にあった最大の河港。奥羽山脈水源とする朧気(おぼろけ)川,丹生川がこの地域で最上川に合流する。戦国期には丹生川の河岸段丘上に太田氏の井出楯があった。大石田集落はこの井出楯との関係が深く最上氏の領国形成とともに河岸場として整備された。はじめ大石田は山形藩領の一村であったが,1636年(寛永13)に大石田四日町村が分かれて天領となり,その後大石田本町が分村し,山形藩主の移動により大石田村も二分され,68年(寛文8)以後は四つの行政村に分割されていた。1761年(宝暦11)の大石田惣町は,村高1251石余,家数148軒,船120艘であった。大石田河岸は,船持荷宿商人の町として栄え,川船差配を独占していた元禄年間(1688-1704)には大小の大石田船は292艘に上る。その後上流の上郷の発達で川船数は減少したが,1792年(寛政4)に幕府の川船役所が置かれ,1836年(天保7)32人の荷問屋株仲間が結成された。明治以後,幕末の有力商人は地主となり,大石田は地主の町として発展した。
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世界大百科事典(旧版)内の大石田の言及

【最上川】より

…日本の代表的舟唄《最上川舟唄》でも知られる。【中川 重】
[水運の歴史]
 《延喜式》の駅制によれば,野尻(現,大石田町駒籠),避翼(さるはね)(現,舟形町長者原),佐芸(さけ)(現,鮭川村真木)の間に伝馬と舟が置かれたとあり,古代から航行に利用されたことが知られる。室町初期に成立した《義経記》の中でも,北国落ちの源義経が,清川(現,立川町)から合海(あいかい)(現,新庄市本合海)まで川船で上る様子が記され,当時の水運の利用が推測される。…

※「大石田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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