正親町公明(読み)おおぎまち きんあき

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「正親町公明」の解説

正親町公明 おおぎまち-きんあき

1744-1813 江戸時代中期-後期公卿(くぎょう)。
延享元年3月25日生まれ。正親町実連(さねつら)の子。明和5年参議。正二位,権大納言にすすみ,寛政2年院別当となる。翌年武家伝奏となり,尊号をめぐる朝廷と幕府老中松平定信の対立を調整したが失敗。5年江戸によばれ50日間逼塞(ひっそく)を命じられた。享和3年出家。文化10年10月13日死去。70歳。初名は公功

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367日誕生日大事典 「正親町公明」の解説

正親町公明 (おおぎまちきんあき)

生年月日:1744年3月25日
江戸時代中期;後期の公家
1813年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の正親町公明の言及

【尊号一件】より

…その後数度の書信往復があって,朝廷側では要求を撤回したが,91年関白が一条輝良に代わると,朝廷は再び同じ要求を持ち出し態度を硬化させたので,幕府はあくまで拒絶の態度を決め,老中松平信明が上京して事に当たり,天皇はついに尊号宣下の企てを放棄した。93年幕府はこの事件にかかわった中山愛親・正親町(おおぎまち)公明の両卿を処罰し,さらに多数の公卿を戒飭(かいちよく)した。また閑院宮家には一代を限って1000石を増進した。…

【中山愛親】より

…江戸後期の公卿。議奏・前大納言であった愛親は光格天皇の命で,天皇でなかった者に太上天皇の尊号が贈られた例を調査するなど,〈尊号一件〉に終始かかわったが,1793年(寛政5)に幕府の要請で伝奏正親町(おおぎまち)公明と共に江戸に下り,老中松平定信の審問を受けた。その結果愛親は100日の閉門,公明は50日の塞となり,また職を免ぜられた。…

※「正親町公明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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