正親町実正(読み)オオギマチ サネマサ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「正親町実正」の解説

正親町 実正
オオギマチ サネマサ


肩書
貴院議員(伯爵),大正天皇侍従長,賞勲局総裁

生年月日
安政2年6月7日(1855年)

出生地
京都

学歴
東京帝大理学部物理化学専攻卒

経歴
文久2年孝明天皇侍従。維新後東大に学んで薬剤師免許を得、明治12年宮内省御用掛、侍医寮薬剤掛となった。17年伯爵、23年貴院議員となり、研究会幹部で活躍。その間埼玉県知事、賞勲局総裁を務めた。大正7年侍従長、10年再び賞勲局総裁。

没年月日
大正12年6月26日

家族
父=正親町 公董(公卿)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

関連語 学歴

20世紀日本人名事典 「正親町実正」の解説

正親町 実正
オオギマチ サネマサ

明治・大正期の官僚,政治家 大正天皇侍従長;貴院議員(伯爵);賞勲局総裁。



生年
安政2年6月7日(1855年)

没年
大正12(1923)年6月26日

出生地
京都

学歴〔年〕
東京帝大理学部物理化学専攻卒

経歴
文久2年孝明天皇侍従。維新後東大に学んで薬剤師の免許を得、明治12年宮内省御用掛、侍医寮薬剤掛となった。17年伯爵、23年貴院議員となり、研究会幹部で活躍。その間埼玉県知事、賞勲局総裁を務めた。大正7年侍従長、10年再び賞勲局総裁。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「正親町実正」の解説

正親町実正

没年:大正12.6.26(1923)
生年:安政2.6.7(1855.7.20)
大正天皇の侍従長。幕末に攘夷派の公卿であった正親町実徳の長男で,やはり攘夷公卿の正親町公董(中山忠能3男,実徳の子となる)の嗣子となった。伯母に孝明天皇の生母雅子(新待賢門院)がいる。幕末に従四位下まで進み,侍従・美濃権介に任官した。明治2(1869)年元服し,12年宮内省侍医局に出仕し,17年伯爵を授けられ,19年薬剤師に任ぜられた。23年貴族院議員に互選されて大正7(1918)年まで勤め,その間埼玉県知事と賞勲局総裁を務めた。大正7年侍従長となり,10年再び賞勲局総裁となった。

(上野秀治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「正親町実正」の解説

正親町実正 おおぎまち-さねまさ

1855-1923 明治-大正時代の官僚。
安政2年6月7日生まれ。正親町実徳(さねあつ)の長男。文久2年孝明天皇の侍従となる。明治12年宮内省にはいり,15年正親町公董(きんただ)の家督をつぎ17年伯爵。埼玉県知事,賞勲局総裁をつとめる。23年貴族院議員。大正7年侍従長。大正12年6月26日死去。69歳。東京大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「正親町実正」の解説

正親町 実正 (おおぎまち さねまさ)

生年月日:1855年6月7日
明治時代;大正時代の官僚;政治家。宮内省御用掛;埼玉県知事
1923年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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