武節城跡(読み)ぶせつじようあと

日本歴史地名大系 「武節城跡」の解説

武節城跡
ぶせつじようあと

[現在地名]稲武町武節町

名倉(なぐら)川に架かる現在の武節大橋の上字城山(しろやま)にある平山城。比高七〇メートル。おもな郭四、小郭十数ヵ所を配す。本丸跡とされる地に八幡神社がある。永正年間(一五〇四―二一)に田峯(だみね)(現設楽町)の菅沼定信の支城として築かれたという。弘治二年(一五五六)下条信氏の侵略があり、元亀二年(一五七一)には武田信玄の三河侵入で本城の田峯城とともに武田氏の軍門に降った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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