武藤光朗(読み)ムトウ ミツロウ

20世紀日本人名事典 「武藤光朗」の解説

武藤 光朗
ムトウ ミツロウ

昭和・平成期の社会思想家,評論家 元・民社研議長。



生年
大正3(1914)年3月17日

没年
平成10(1998)年7月25日

出生地
福島県川俣町

出身地
長崎県長崎市

学歴〔年〕
東京商科大学(現・一橋大学)〔昭和12年〕卒

学位〔年〕
経済学博士

経歴
昭和15年横浜専教授となり、日本外政協会、日本国連協会各調査課長を務めた。国学院大政経学部教授を経て、中央大学教授、早稲田大学客員教授。民社系知識人の集まりである民社研に拠り、35年社会主義インターローマ大会出席、39年民社研の北欧視察団長となるなど海外とも交流。著書に「革命思想と実存哲学」「限界状況としての日本」「自由人権の運命」「例外者の社会思想」、訳書に「ヤスパース・哲学的世界定位」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武藤光朗」の解説

武藤光朗 むとう-みつろう

1914-1998 昭和後期-平成時代の社会思想家。
大正3年3月17日生まれ。国学院大教授をへて中央大教授。民主社会主義研究会議議長。昭和35年社会主義インターのローマ大会に出席,56年からインドシナ難民連帯委員会会長。平成10年7月25日死去。84歳。福島県出身。東京商大(現一橋大)卒。著作に「社会主義と実存哲学」「現代日本の精神状況」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「武藤光朗」の解説

武藤 光朗 (むとう みつろう)

生年月日:1914年3月17日
昭和時代;平成時代の社会思想家。民社研議長
1998年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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