個人の実存を重視する哲学的立場。「実存」はドイツ語ではエクシステンツExistenzであり、この語は元来「存在」を意味するが、20世紀に入って実存哲学がとくに人間の個別的な現実存在をさす語として用いるようになってから、「現実存在」を縮めた「実存」という訳語があてられるようになった。
[宇都宮芳明]
実存哲学の先駆者としては、19世紀後半の2人の思想家キルケゴールとニーチェとがあげられる。実存という語を先の意味で初めて用いたキルケゴールは、個々人の存在の意義に重きを置かないヘーゲルの汎(はん)論理主義的な体系に反抗して、個人の主体性こそが真理であると説き、また信仰から外れている「大衆」に真の信仰者である「単独者」を対置した。一方ニーチェは、伝統的な人間の本質規定がすべて崩れ去るニヒリズムの到来について語り、そこから価値の転換と、これまでの人間にかわる超人の理想を説いた。彼らは生前ほとんど理解者をもたず、その思想はごく限られた範囲でしか認められなかったが、20世紀に入って第一次世界大戦がもたらしたヨーロッパの戦禍は、現実にニヒリズムの到来を結果し、2人の思想は、とりわけ戦禍の甚だしかったドイツにおいて一躍脚光を浴びるようになった。
ハイデッガーやヤスパースといったドイツの実存哲学者は、こうした時代背景を負って登場した。ちなみに、ハイデッガーの主著『存在と時間』が公刊されたのは1927年であり、ヤスパースの主著『哲学』全3巻が実際に公刊されたのは31年暮れであって、哲学界で実存とか実存哲学について語られるようになるのはそれ以降のことである。現象学から出発したハイデッガーの実存哲学は、その後フランスに渡り、サルトルに代表されるフランス実存主義の思想を生んだが、この思想は、第一次大戦とは比較にならないほどの物質的、精神的荒廃をもたらした第二次大戦後の思想界に広範な影響を与えた。またこの流れとは別に、カトリック系のフランスの哲学者マルセルも、実存哲学者の一人に数えられる。
[宇都宮芳明]
『存在と時間』でのハイデッガーは、世界のうちに現に投げ出されて存在する人間を現存在とよび、現存在が存在すること、そのことを実存と名づける。現存在がどのように実存するかは、あらかじめ定められた人間の普遍的本質といったものによってではなく、その時々に現存在が実存するまさにそのことによってのみ決定される。つまり「現存在の本質はその実存にある」ことになる。現存在をこうした角度から分析するのが実存論的分析であって、それを通じて実存の非本来性と本来性とが区別される。非本来的な実存とは、本来の自己を見失って「ひと」das Manのうちに没入し、世界の内部で現れる目前の事物に心を奪われている人間の日常的なあり方のことで、これは時間に即していえば、過去を忘却し、未来を予期しながら、その時々の現在に分散して生きる人間のあり方である。
これに対して、過去からの自己を取り戻し、将来に向かって先駆しながら、瞬間において決意的に生きる人間のあり方が本来的な実存であって、これはキルケゴールの「実存」を原型とするものといえよう。だが後期のハイデッガーでは、人間が存在そのものの明るみのうちへと立ちいでることが実存とされ、『存在と時間』での本来的実存にみられる悲劇的、英雄的な色彩は消え、従来のエクシステンツにかわってエク・システンツEk-sistenz(「開存」とも訳される)といった表現も用いられるようになる。
一方ヤスパースの『哲学』によると、実存は(1)けっして客観となることのないもの、(2)私がそれに基づいて思考し行動する根源、(3)自己自身にかかわり、かつそのことのうちで超越者にかかわるもの、であって、こうした「自己存在の暗黒の根拠」である実存は、いわゆる実存開明によってのみ明らかになるとされる。それによると、実存は自己に充足できず、さまざまな限界状況に直面して自らの有限性に絶望し、そこから超越者の主宰する真の現実へと目を向け、本来の自己存在へと回生する。その限りではハイデッガーよりもヤスパースの実存のほうがはるかにキルケゴール的実存に近いともいえよう。
またサルトルによると、人間にあっては実存が本質に先だつ。人間の本質をあらかじめ規定するような神は存在しない。人間は各自が自由に自己を創造していくほかなく、その創造の責任を自らに引き受けなければならない存在である。サルトルはそこでハイデッガーと自分とを無神論的実存主義者とよび、ヤスパースやマルセルを有神論的実存主義者とよんで、この二つを区別した。
実存哲学は、文学のみならず、さまざまな学問分野に影響を及ぼしている。たとえばバルトやブルンナーに代表されるいわゆる弁証法神学には、キルケゴールやハイデッガーの影響が顕著である。また、実存分析の手法は、精神病理学のうちに採用された。なお実存哲学の影響を受けた日本の哲学者として、三木清、九鬼周造(くきしゅうぞう)、和辻哲郎(わつじてつろう)などの名をあげることができる。
[宇都宮芳明]
『九鬼周造著『人間と実存』(1939・岩波書店)』▽『『実存主義講座』全8巻(1968~78・理想社)』▽『『実存主義叢書』全24巻(1961~77・理想社)』
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…ニーチェもまた不断に脱自的であらざるをえない人間を〈力への意志〉に基づく〈超人〉と名づけ,無意味な自己超克を繰り返しているかに思われる運命を肯定することに意味を発見した。〈実存哲学〉の語が定着するのは,第1次大戦後の動向のうちとくに《存在と時間》(1927)に表明されたハイデッガーの哲学を念頭に置いて,これを〈人間疎外の克服を目指す実存哲学〉と呼んだF.ハイネマンの著《哲学の新しい道》(1929)以降であり,ヤスパースがこれを受けて一時期みずから〈実存哲学〉を名のった。ほかに,ベルジャーエフ,G.マルセル,サルトルらの哲学を実存哲学に含めるが,彼らは必ずしもみずからの哲学を実存哲学と呼んではいない。…
… 同じような企てはすでに19世紀初頭のシェリングの後期思想にも見られる。シェリングもまたおのれのこの企てを〈実存哲学Existenzialphilosophie〉と呼んでいたが,こうした企ての背後には,西洋哲学の根幹をなす形而上学的思考様式を克服せんとする意図がひそんでいたのである。だが一方,サルトルのそうした企てに対して,ハイデッガーは,そのように〈本質存在〉と〈事実存在〉の関係を逆転させても仕方がないのであり,必要なのはむしろ存在に原初の単純性を回復してやることだという批判をくわえている(《ヒューマニズム書簡》)。…
…キルケゴール,ニーチェ,M.ウェーバーの影響のもと10年余に及ぶ思索の末に,《現代の精神的状況》(1931)と大著《哲学》3巻(1932)とを公刊。前者では大衆社会の中に埋没して自己を喪失している現代人を批判し,後者では限界状況(死,苦,争,責)における挫折を直視することによって超越者の暗号の世界へと立ちいでていく実存の形而上学を展開,〈実存哲学〉の立場を体系化して,現代実存主義哲学の礎石を築いた。リッケルト引退の32年に哲学科主任教授となったが,翌年ナチスにより大学運営参加を締め出される。…
※「実存哲学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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