…その後,京都に出た闇斎に谷秦山(谷重遠)が学んで復活し,史学,国学,暦学をあわせて〈谷家の学〉として伝えた。その土壌の上に武藤致和(むねかず)の《南路志》,鹿持(かもち)雅澄の《万葉集古義》などが生まれ,維新に連なる尊王思想が形成された。藩校として宝暦年間(1751‐64)に教授館(こうじゆかん)が,幕末にはそれに代えて文武館(のち致道館)が設けられた。…
※「武藤致和」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...