武藤致和(読み)むとう むねかず

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武藤致和」の解説

武藤致和 むとう-むねかず

1741-1813 江戸時代中期-後期商人,国学者
寛保(かんぽう)元年5月5日生まれ。土佐高知城下で呉服商などをいとなむ豪商で,屋号は美濃屋。国学,故実研究をこのみ,子の平道とともに土佐の地誌「南路志(なんろし)」120巻をまとめた。そのために家産をかたむけたという。文化10年9月5日死去。73歳。通称は忠左(右)衛門,忠五郎。号は何竜,榊の壺。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の武藤致和の言及

【土佐国】より

…その後,京都に出た闇斎に谷秦山(谷重遠)が学んで復活し,史学,国学,暦学をあわせて〈谷家の学〉として伝えた。その土壌の上に武藤致和(むねかず)の《南路志》,鹿持(かもち)雅澄の《万葉集古義》などが生まれ,維新に連なる尊王思想が形成された。藩校として宝暦年間(1751‐64)に教授館(こうじゆかん)が,幕末にはそれに代えて文武館(のち致道館)が設けられた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」