シベリア探検(読み)シベリアたんけん

改訂新版 世界大百科事典 「シベリア探検」の意味・わかりやすい解説

シベリア探検 (シベリアたんけん)

最初の学術的シベリア探検は,ロシア皇帝ピョートル1世の命により,主として薬草鉱物の調査のためにシベリアに派遣されたドイツ人学者メッサーシュミットDaniel Gottlieb Messerschmidt(1685-1735)によって行われた。彼は1719-27年,レナ川までの各地を旅行し,動植物や鉱物の標本のほか20の言語資料を集め,くわしい調査日記を残した。1721-22年,シベリアで捕虜になっていたスウェーデン人将校ストラーレンベルグが彼に同行し,後に《アジアとヨーロッパの北東部》(1730)を著した。

 V.ベーリングを隊長とする第1次(1725-30),第2次(1733-43)のカムチャツカ探検はシベリア研究史上画期的なできごとであった。第1次探検はピョートル1世の死の直前の勅令(1725年1月6日)によるもので,アジア大陸とアメリカ大陸の北部における海峡の有無の探検を目的としていた。しかしこの探検では,海峡の有無は最終的には明らかにできなかったが,シベリアの大きさがほぼ明らかになり,民族資料が集められた。1732年1月17日付けの勅令による第2次探検隊では,アメリカ大陸および日本への航海だけでなく,シベリア内陸部の自然と住民を研究するための調査班が編成された。これにはドイツからミュラーGerard Friedrich Müller(1705-83),グメリンJohann Georg Gmelin(1709-55),シュテラー,I.フィッシャー,フランスからL.ド・リル,スウェーデンからJ.I.リンデナウらのほか,クラシェニンニコフら多くのロシア人が参加した。ミュラーの《シベリア史》(1750),グメリンの《シベリアの旅》(4巻,1751-52),シュテラーの《カムチャツカ誌》(1774),クラシェニンニコフの《カムチャツカ誌》(2巻,1755)などの名著が刊行された。ベーリング自身は帰還の途中,1741年12月8日,今のベーリング島で死亡した。

 1768-74年,ロシア科学アカデミーで活躍したドイツ人学者パラスPeter Simon Pallas(1741-1811)によるシベリア探検が行われた。彼はバイカル湖東部までの自然と民族に関する多くの資料を集めたが,その結果は《ロシア帝国各地方の旅》(1771-76),《モンゴル諸民族の史料集成》(2巻,1776-1808),《全世界言語比較辞典》(2巻,1787-89)などとしてまとめられた。この辞典には270余の日本語の単語が含まれているが,これは当時ペテルブルグに滞在していた伊勢の漂流民大黒屋光太夫が監修を依頼されたものである。

 1841-44年および45-49年,フィンランド出身の学者カストレンMathias Alexander Castrén(1813-52)による西シベリアの民族と言語の調査が行われた。カストレンはその結果に基づいて,シベリアにおけるサモエード,フィン・ウゴル,モンゴル,チュルク,ツングース・満州の諸言語が過去において互いに近い関係にあったこと,およびその原郷がアルタイ山脈,サヤン山地であったとの仮説を提出した。

 1842-45年にはミッデンドルフAlek-sandr Fyodorovich Middendorf(1815-94)の探検が行われ,その成果として《シベリアの極北および東部の旅》(1848-75)が刊行された。本書において,シベリアにおける永久凍土層の分布圏と規模が報告された。次いで54-56年に行われたシレンクのアムール川下流部とサハリンの調査は,この地方の自然と民族の研究に大きく貢献した。とりわけニブヒ族ウリチ族ウイルタ族などの民族誌的研究《アムール地方の異民族について》(3巻,1883-1903)は現在でもこの方面の研究の必須文献である。

 1862-1902年,西シベリアの考古,民族,言語を調査したラードロフVasilii Vasil'evich Radlov(1837-1918)は多くの報告を発表したが,その一つ《シベリアより》(2巻,1884)はよく知られている。20世紀初頭のシベリア北東部の民族学的調査として,アメリカの民族学者ボアズを中心としたアメリカ自然史博物館の北太平洋調査団の活動は重要である。これは,当時の同博物館長ジェサップMarris Ketchum Jesup(1830-1908)の名をとって〈ジェサップ調査団〉ともよばれる。ラードロフの推輓(すいばん)によって,この調査団に参加したヨヘルソン,ボゴラスは,調査報告書の中にその成果を発表した。以上はロシア革命以前の主要なシベリア探検であるが,ソ連邦時代になってからの調査は,全体として多人数による組織的なものとなり,主として個人の努力に負っていた19世紀の場合とはかなりちがってきている。
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