日本歴史地名大系 「殿ヶ谷村」の解説 殿ヶ谷村とのがやむら 東京都:西多摩郡瑞穂町殿ヶ谷村[現在地名]瑞穂町殿ヶ谷現町域の南東部を占め、北西は石畑(いしはた)村、東は岸(きし)村(現武蔵村山市)。村のほぼ中央部を残堀(ざんぼり)川(蛇堀川)が南東に流れ、同川の北側を並行して青梅(おうめ)道(江戸道、現青梅街道)が通る。当地は室町中期以降、武蔵七党一流の村山土佐守家の所領であった。文明一四年(一四八二)四月の阿豆佐味天神社棟札銘(福生町誌)に村山土佐守の名は記されていないが、同年に同神社を修復したのは土佐守とされている(享保一六年「阿豆佐味天神社棟札写」同社蔵)。天正一二年(一五八四)三月一三日の阿豆佐味天神社棟札銘写(阿豆佐味天神社文書)に村山土佐守が大願主としてみえ、同一五年一一月二八日の福正(ふくしよう)寺観音堂本尊台座銘写(福正寺文書)にも「当寺檀那村山土佐守」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by