比木郷・比木庄(読み)ひきごう・ひきのしよう

日本歴史地名大系 「比木郷・比木庄」の解説

比木郷・比木庄
ひきごう・ひきのしよう

現浜岡町の東部に比定される中世の郷(庄)で、名称は江戸時代初期の比木村(のち四村に分立)に引継がれた。寛治三年(一〇八九)一一月一二日、藤原致継は相伝私領の比木郷を京都の賀茂別雷かもわけいかずち神社(上賀茂神社)に寄進し、自分の子孫を「預之職」とした(「藤原致継寄進状案」賀茂別雷神社文書)。比木郷の四至は、東は海、南は「中山」、西は「笠原御牧境山」、北は「高野黒山」と記され、「中山」は白羽しろは(現御前崎町)との境の山、「高野黒山」は現在の比木地区の北にあたる牧之原まきのはら台地南端、「笠原御牧境山」は比木地区の字中田原なかだばらに比定されている(静岡県史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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