毛賀村(読み)けがむら

日本歴史地名大系 「毛賀村」の解説

毛賀村
けがむら

[現在地名]飯田市毛賀

現飯田市の中央部、天竜川の西に発達した河岸段丘上に位置。古代は「和名抄」所載の輔衆ふす郷に属したものと推定され、やがて伊賀良いがら庄の内となった。近世は一貫して飯田藩領。村高は正保四年(一六四七)が五二〇石余(信濃国絵図高辻)で、天保五年(一八三四)には六四五石余(信濃国郷帳)に急増した。

「毛賀」の文献上の初出は天正六年(一五七八)の上諏訪造宮帳で、「毛賀郷」とあり、同七年の上諏訪造宮帳には「毛賀之郷」と記されている。「信州伊那郷村記」に「古来島田郷より別村に分る、脇坂様御領知之節は立花村といふ」とあるごとく、江戸時代の初期に一時、「立花たちばな村」といい「たちばな村」とも書いたが、堀氏時代になると旧のごとく「毛賀村」と称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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