日本歴史地名大系 「立花村」の解説
立花村
たちばなむら
- 岩手県:北上市
- 立花村
北上川の左岸にあり、対岸西方黒沢尻村
慶長八年(一六〇三)、岩崎一揆で軍功のあった瀬川久太郎が橘村の三〇〇石余を宛行われ(「南部利直知行宛行状」瀬川系図)、同一九年には葛西庄兵衛に当村の二一八石余が宛行われている(「南部利直知行宛行状」岩手県志草稿)。正保国絵図では高二七九石余。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付には蔵入高二九四石余とあり、七ヵ年平均の免は四ツ二厘九毛。
立花村
たちばなむら
- 岐阜県:美濃市
- 立花村
湾曲流する長良川右岸に位置する
立花村
たちばなむら
立花村
たちばなむら
松山平野のほぼ中央平坦部に位置する農村。東は
古代には温泉郡立花郷(和名抄)に属したと考えられる。天平勝宝四年(七五二)にこの地域に東大寺の封戸があったことは、造東大寺司牒(正倉院文書)に「温泉郡橘樹郷封五十戸」の記事で知られる。
立花村
たちばなむら
山田村の南西、
立花村
たちばなむら
立花村
たちばなむら
- 滋賀県:守山市
- 立花村
立花村
たちばなむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報