日本歴史地名大系 「水堂村」の解説 水堂村みずどうむら 兵庫県:尼崎市旧川辺郡地区水堂村[現在地名]尼崎市水堂町一―四丁目・西立花町(にしたちばなちよう)一―五丁目・南武庫之荘(みなみむこのそう)一―三丁目・立花町一―二丁目・同四丁目・七松町(ななつまつちよう)一丁目・南七松町(みなみななつまつちよう)一丁目七ッ松村の北西に位置し、北は武庫(むこ)郡生津(なまづ)村、西は北から同郡守部(もりべ)村・今北(いまきた)村。地元ではミッドとも発音される。明応八年(一四九九)正月二五日の大内義興感状(萩藩閥閲録)に「難波水堂」とみえ、応仁元年(一四六七)八月一〇日当地で上洛をめざす西軍の大内政弘勢と、これを阻止しようとした東軍赤松・秋庭勢との合戦があった。永正一六年(一五一九)一二月二日摂津池田城についた細川高国は、河原林(瓦林)正頼が楯籠る越水(こしみず)城(現西宮市)救援のため当地などに陣を取っている(細川両家記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報