日本歴史地名大系 「光輪寺」の解説
光輪寺
こうりんじ
「東筑摩郡村誌」に「光輪寺東西三十一間、南北四十間、面積八百四十二坪、新義真言宗智積院ノ末派ナリ、村ノ東南ニアリ、開基年暦不詳ト雖モ、後大凡一百歳許ニ至リ野火ノ為メニ焼亡ス、其後衰微ニ至リ、再建難成、僅ニ草庵ヲ結ビ是ニ住居ス、治承四年木曾義仲中興開基ニ因テ位置ヲ山麓ニ移シ、堂宇ヲ再建シ黒印三十六石ヲ賜ル、後保科・鳥居・小笠原氏ニ至ル次テコレヲ拝領ス、支院一ケ所、十王堂ト云フ、薬師堂同寺境内ニアリ、本尊薬師、天平年間行基菩薩ノ真作ナリ、野火焼亡ノ時真像梵池ニ没シ水底ニ沈ム、弘仁年間弘法大師諸国遍歴ノ時其真像ヲ水底ニ探シ出シ自ラ前仏二体ヲ作リ草庵ニ安置スト云フ」とあり、古寺としての伝承をもつ。
光輪寺
こうりんじ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報