永井威三郎(読み)ナガイ イサブロウ

20世紀日本人名事典 「永井威三郎」の解説

永井 威三郎
ナガイ イサブロウ

大正・昭和期の育種学者,栽培学者



生年
明治20(1887)年11月18日

没年
昭和46(1971)年9月14日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京帝大農科大学農学実科〔明治41年〕卒,マサチューセッツ州立農科大学〔明治44年〕卒

学位〔年〕
バチェラー・オブ・サイエンス(マサチューセッツ州立農科大学)〔明治44年〕,マスター・オブ・サイエンス・イン・アグリカルチャー(コーネル大学)〔大正1年〕,農学博士〔大正11年〕

経歴
明治41年農商務省海外実業練習生として米国留学。のち渡独、ハイデルベルク大学で学び、大正6年農事試験場技師、昭和10年東京高等農林学校教授、23年日本大学教授。日本作物学会、遺伝学会、農業気象学会員、日本育種学会評議員として活躍。著書に「作物栽培各論」「日本の米」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「永井威三郎」の解説

永井威三郎 ながい-いさぶろう

1887-1971 大正-昭和時代の農学者。
明治20年11月18日生まれ。永井久一郎の3男。永井荷風(かふう)の弟。農商務省にはいりアメリカ,ドイツに留学。農事試験場技師をへて,昭和10年東京高等農林教授,のち日大教授。イネの遺伝研究で知られる。昭和46年9月14日死去。83歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「作物栽培論」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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