永井久一郎(読み)ナガイ キュウイチロウ

20世紀日本人名事典 「永井久一郎」の解説

永井 久一郎
ナガイ キュウイチロウ

明治・大正期の実業家,漢詩



生年
嘉永4年8月2日(1851年)

没年
大正2(1913)年1月29日

出生地
尾張国愛知郡鳴尾村(愛知県)

本名
永井 匡温

別名
筆名=禾原,来青

経歴
永井匡威の長男に生まれる。藩儒鷲津毅堂の門下生となり漢学を修め、明治2年家督を次弟に譲り毅堂と共に上京。開成校に通学、漢詩を大沼枕山に、洋学を福沢塾に、英語を箕作麟祥に学ぶ。4年米国に留学しブリンストンの大学などで英語・ラテン語を修得。6年帰国し、7年工部省に入り、8年文部省に転じ、のち東京図書館長、14年内務省書記官。17年ロンドンの万国衛生博覧会に日本政府代表として出張、フランス、ドイツなどの衛生事情を視察し、18年帰国。19年東京帝国大学書記官、22年文部大臣主席秘書官、24〜30年会計課長などを務めた。同年日本郵船に転じ上海支店長、33〜44年横浜支店長を歴任。この間、10年毅堂の2女・恒と結婚し、12年長男・壮吉(のちの作家・荷風)が誕生。著書に「西遊詩」「西遊詩続稿」「雪炎百日吟稿」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「永井久一郎」の解説

永井久一郎 ながい-きゅういちろう

1852-1913 明治時代の官僚,実業家,漢詩人。
嘉永(かえい)5年8月2日生まれ。永井荷風(かふう)の父。アメリカ留学後,文部省にはいり東京図書館長,会計課長をつとめる。のち日本郵船の上海・横浜支店長を歴任。大沼枕山(ちんざん)らに漢詩をまなんだ。大正2年1月2日死去。62歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。名は匡温。号は禾原(かげん)。著作に「西遊詩」「雪炎百日吟稿」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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