永松学区(読み)ながまつがつく

日本歴史地名大系 「永松学区」の解説

永松学区
ながまつがつく

およそ北は四条通、南は五条通、東はかも川、西は寺町てらまち通にわたる旧学区。江戸時代は上京の親町組や下京古町はなく、上古京下中筋組の枝町と下古京巽組の新シ町と離レ町などであった。名称は明治二年(一八六九)の下大組一二番組から、下京一四区(明治五年)、下京一四組(同一二年)、下京第一四学区(同二五年)を経て昭和四年(一九二九)永松学区。同一七年に学区制が廃され、第二次世界大戦後には一時小学校が廃されるなどしたが、同二五年に復元開校。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報