下京(読み)シモギョウ

デジタル大辞泉 「下京」の意味・読み・例文・類語

しも‐ぎょう〔しもギヤウ〕【下京】

京都市三条通り以南の地。
京都市の区の一。昭和4年(1929)中京区を分区、同30年南区を分区し、現在は四条通り以南八条通りまで、東は鴨川、西は西大路までの地域。

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精選版 日本国語大辞典 「下京」の意味・読み・例文・類語

しも‐ぎょう‥ギャウ【下京】

  1. [ 一 ] 京都の市街地南北に分けた場合の南半部の呼称。三条通以南。
  2. [ 二 ] 京都市の行政区の一つ。四条通以南八条通まで。東は賀茂川に、西は西高瀬川に限られる。京都駅があり、大部分が商業地区で、人口密度が高い。西本願寺東本願寺がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「下京」の意味・わかりやすい解説

下京 (しもぎょう)

京都の地名。大内裏と朱雀大路を中心に整然と区画された平安京も,平安時代末ごろには,律令体制の崩壊と平安京自体が本来的にもっていた地形的制約(右京の低湿地)により,その都市的発展は漸次左京へと移り,都は南北に細長い長方形へと変化していった。これによって,従来の左京,右京という概念にかわって上京,下京という呼称が生まれてきたのである。鎌倉時代,上・下両京の境は二条大路辺と意識されていたようで,その通りを境に南北に独立した集落を形成していた。当時は南の下京を〈下町〉〈下辺(しもわたり)〉と呼び,〈下京〉なる呼称も南北朝時代には普及していたと考えられる。下京の中心は四条町で,1369年(正平24・応安2)室町幕府が四条町の立売を禁止したことからも,その立売に対抗する店舗商人の活動がうかがえる。事実,当時の四条町には鎧,腹巻,弓矢,太刀,綾錦などを扱う商店が軒を並べていた。時代はさかのぼるが,鎌倉時代後期から室町時代初頭にかけて下京に広まる法華宗も,これら商工業者を信徒としてのものであった。また室町時代,有徳人(うとくにん)の代名詞でもあった酒屋も,1425年(応永32),26年の〈酒屋交名(きようみよう)〉には下京に多く見え,さらに梅酒屋(五条烏丸)や柳酒屋(五条坊門西洞院)などの銘酒も下京に位置していた。五条東洞院ほか数ヵ所に傾城屋の発展もみられた。

 1467年(応仁1)に始まった応仁・文明の乱では,上京とともに下京もかなりの被害をうけたという。この乱により祇園御霊会も中断するが,1500年(明応9)には以前に増す華麗さでみごとな復興を遂げている。戦乱による被害はこればかりではなく,36年(天文5)には法華一揆の勢いが頂点に達し,〈山門(延暦寺)諸勢京中に切り入り,日蓮宗が一ヶ寺其の外下京悉く放火し上京過半炎上す〉と《厳助往年記》にあるように,再度下京区域は荒廃することとなった。しかし町の復興はただちに行われたようで,翌年には,将軍家年頭拝礼の入用金割付に際し,中組,西組,巽組,艮組,七町半組の5組の自治組織としての町組が初見する。この年の下京の状況を《耶蘇会士日本通信》は〈此等市街は,緞子其他の織物を製造加工し,又金属其他当地に用ひらるゝ品を作る商人の家及び事務所の在る所にして〉と記しており,当時の下京の産業がよくわかる。戦国時代の覇者である織田信長は1568年(永禄11)入京,京都を実力で圧迫しようと試み,さまざまな施策をとる。71年(元亀2)には禁裏に献上する費用を調達するため京中に貸米の制度を実施するが,それについて下京では中組,牛寅組,川ヨリ西組の3町組約50町が史料上にみえる。73年(天正1)信長の意にそわぬ上京は焼き打ちされた。下京は〈謙遜服従及び好情〉をもって信長に対したといわれるが,被害をまぬがれた理由としては,下京が食糧品・軍需品の市場であったことが考慮されたためとも考えられている。

 90-91年,信長のあとをうけて天下を統一した豊臣秀吉は京都の都市改造を断行した。その一環として,四条以南の地域の寺町~高倉間,堀川~大宮間において南北道路を通し,短冊型の町割りを行った。江戸時代に入ると,17世紀から18世紀にかけての都市的発展によって下京区域も拡大を遂げ,先の町組も分離発展し,仲九町組,仲十町組,上艮組,南艮組,川西十六町組,川西九町組および巽組,三町組の8組となった。1869年(明治2)三条通から七条通までの江戸時代以来の街区が下大組,72年には下京,79年さらに郡区町村編制法により下京区と改称している。その後郡部を編入したが,1929年中京区,東山区が新設され,55年南区を分区した。
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百科事典マイペディア 「下京」の意味・わかりやすい解説

下京[区]【しもぎょう】

京都府京都市の一区。中心市街の南部,ほぼ四条通りと八条通りの間を占める。南端にJR京都駅があり,駅前の商店街,四条通り商店街などは市の商業,金融の中心。七条通りには東本願寺西本願寺(世界遺産)がある。6.78km2。7万9287人(2010)。
→関連項目上京・下京町組

下京【しもぎょう】

上京・下京

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世界大百科事典(旧版)内の下京の言及

【京都[市]】より

…低湿な右京(西部)はやがてさびれ,高燥な東部,北部へと発展し,平安京の東縁であった鴨川の東へも早くから市街が広がった。 市制施行時には面積は約30km2で,上京,下京の2区のみであったが(現在の両区とは範囲が異なる),その後市域が拡大し,1929年には上京,下京,中京,左京,東山の5区となった。31年には伏見市などを編入して伏見区,右京区が設けられ,第2次世界大戦後にはさらに北方の丹波高地や南西方の町村を合わせ,59年約610km2の現市域が成立した。…

【平安京】より

…他方,市街地の北と南の区別が二条通(大内裏南辺の東西路)を境にしてなされ,上辺(かみわたり),下辺(しもわたり)の称も生まれた。のちの上京,下京である。
[京の住民]
 記録の上で平安京にのみ見られるものに諸司厨町(しよしくりやまち)がある。…

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