江北村(読み)えきたむら

日本歴史地名大系 「江北村」の解説

江北村
えきたむら

[現在地名]北条町江北

天神川河口西岸に位置し、中部の江北浜を伯耆街道が東西に走る。年未詳四月二九日付の尼子晴久書状(閥閲録)によれば晴久は、伊賀三郎五郎が与えられた城から退去せざるをえなくなった場合には「北条三百五拾石、穴久古江北百石」などを与えることを約束している。天文一三年(一五四四)、のちに「天文の水」と伝えられた大洪水があり、天神川の水は河村かわむら久米くめ両郡にあふれたと伝え(伯耆民談記)、当地にも荒蕪地が広がっていたと考えられる。「在方諸事控」享保二〇年(一七三五)五月一二日条に載る磯江家先祖書によれば、「秀吉公高麗御陣之節、因州鹿野え御着陣、御通被成候砌、道・橋」を独力で造作したという平兵衛は亀井氏と「久米郡江北浜於天神浜」において面謁しており、嫡子平兵衛は天正年間(一五七三―九二)当地に一三〇石の新田を与えられたと伝え、下札には「亀井開之印」があったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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