北野集落の西方に位置する。菅原道真・誉田別命などを祀り、旧村社。近世には天満宮・北野天神などとも称された。草創については不詳だが、京都北野天満宮の分霊を当地に勧請、その後享禄二年(一五二九)野火のために社殿・什宝・記録などをことごとく焼失、天文二〇年(一五五一)に尼子晴久によって再興されたという(「県神社誌」など)。元和二年(一六一六)には倉吉に配流されていた前安房館山藩主里見忠義が嫌疑が晴れることを祈願して方三間の社殿を造立(「伯耆民談記」など)、しかし万治年中(一六五八―六一)再び野火によって焼亡し、寛文年中(一六六一―七三)に再建された(「県神社誌」など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…北野の大茶会ともいう。1587年(天正15)10月1日,豊臣秀吉が京都北野神社の神域と松原において,広く人々を集めて催した開放的な大茶会。秀吉は宮中,名護屋の陣中などにしばしば茶会を開いたが,中でもこれはとくに盛大で,史上最も有名な茶会でもある。…
…また,豊臣氏は社殿を造営し,徳川氏もさらに庇護を加えた。明治になって官幣中社北野神社と改名されたが,第2次世界大戦後,旧名(北野天満宮)に復した。社務の別当職は1004年(寛弘1),比叡山の僧是算(ぜさん)が補せられたのに始まり,天仁年間(1108‐10)寺号を曼殊院と号し,明治維新まで続いた。…
※「北野神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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