北野神社(読み)キタノジンジャ

デジタル大辞泉 「北野神社」の意味・読み・例文・類語

きたの‐じんじゃ【北野神社】

北野天満宮

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精選版 日本国語大辞典 「北野神社」の意味・読み・例文・類語

きたの‐じんじゃ【北野神社】

[一] 京都市上京区にある北野天満宮の別称。
[二] 滋賀県彦根市にある神社。祭神は菅原道真菊理媛命

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日本歴史地名大系 「北野神社」の解説

北野神社
きたのじんじや

[現在地名]鎌倉市山崎

柏尾かしお川東岸、国鉄大船おおふな駅の南方山崎やまざき地区を見下ろす天神てんじん山山頂に鎮座する。祭神は菅原道真、相殿に牛頭天王を祀る。旧村社、山崎の氏神社。例祭は九月二五日。社伝では暦応年中(一三三八―四二)に夢窓疎石が京都北野社を模して勧請したという。

貞治元年(一三六二)一二月、円覚寺塔頭の黄梅おうばい院主が当社を再建した(空華集)。文化八年(一八一一)に二度目の再建が(再造碑)、慶応二年(一八六六)には修造が行われた(棟札)

北野神社
きたのじんじや

[現在地名]板橋区徳丸六丁目

徳丸とくまる六丁目の北西部に鎮座する。北野天神社ともいう。主祭神は菅原道真。旧村社。江戸期の徳丸本村の鎮守。縁起によれば、正暦年間(九九〇―九九五)に疫病が流行した際、梅の古木に祈って霊験があったため、長徳元年(九九五)一月一〇日に京都北野天満宮より勧請したという。このとき田夫の業を演じて神慮を安んじ奉ったのが、今日の田遊(二月一一日夜に行われ、大門の諏訪神社の田遊と合せて国指定重要無形民俗文化財)起源という。

北野神社
きたのじんじや

[現在地名]文京区春日一丁目

安藤あんどう坂の通り東側の台地上にあり、江戸時代には金杉かなすぎ天満宮社(金杉天神)と称した。菅原道真を祀り、旧村社。うし天神の別称でも知られ、当社の牛の絵馬を祀ると疱瘡にかからないといわれる。元来は金杉村の鎮守で、社伝によれば、源頼朝が当時入江であった当地で日和待ちをしていたところ、夢中に牛に乗った天満自在天神が現れ頼朝に託宣、その後頼朝は嫡子頼家を得て、平家との戦いにも勝利したので、神恩を謝して当社を建立したという。別当の天台宗龍門りゆうもん寺は古くは梅本坊といい、江戸時代には当社殿南方の台地下に堂宇を構えていた(「寺社備考」「江戸名所図会」など)

北野神社
きたのじんじや

[現在地名]天王町大崎 上出戸

船川ふなかわ街道の西側、小高い丘の松林の中にある。祭神は菅原道真。旧村社。

奥羽永慶軍記」に、天正一六年(一五八八)に起きた湊騒動の際「北野表へは館岡半兵衛尉(中略)三百余騎、北野天神の社前に陣を備ふ」と記される。文化一二年(一八一五)の「秋田風土記」には「天満宮天神」とあり、天延年中(九七三―九七六)の勧請とも伝え、寛文七年(一六六七)佐竹義処により再興されたという。藩主の信仰が厚く、社修理の寄進も受けていた。宝永元年(一七〇四)の「覚」(国典類抄)に北野天神を含む一二社をあげており、正徳四年(一七一四)頃整備されたとみられる藩内十二社の一に定められている。

北野神社
きたのじんじや

[現在地名]三朝町片柴

片柴かたしば東端に位置する。旧村社。祭神菅原道真。江戸時代は天満宮などと称された。宝暦三年(一七五三)頃の河村郡村々明細帳(近藤家文書)の片柴村の項に産土神天満天神、社領高一石七斗一升、神職九人として岩本左兵衛・大坂右京家内とある。天保五年(一八三四)の寺社領帳(藩史)にも在方下札として同社領高をあげる。同二年の天満宮遷宮の際、大雲だいうん(現鳥取市)代僧、三徳三仏さんぶつ寺の者たちが天満宮の扉を打破り、さらに封印までしたと神主岩本隼馬が藩に訴えたが、同六年山崎仙蔵の調停により双方和解し訴えを取下げている(在方諸事控)

北野神社
きたのじんじや

[現在地名]倉吉市北野

北野集落の西方に位置する。菅原道真・誉田別命などを祀り、旧村社。近世には天満宮・北野天神などとも称された。草創については不詳だが、京都北野天満宮の分霊を当地に勧請、その後享禄二年(一五二九)野火のために社殿・什宝・記録などをことごとく焼失、天文二〇年(一五五一)尼子晴久によって再興されたという(「県神社誌」など)。元和二年(一六一六)には倉吉に配流されていた前安房館山藩主里見忠義が嫌疑が晴れることを祈願して方三間の社殿を造立(「伯耆民談記」など)、しかし万治年中(一六五八―六一)再び野火によって焼亡し、寛文年中(一六六一―七三)に再建された(「県神社誌」など)

北野神社
きたのじんじや

[現在地名]栄村大字堺 北野

志久見しくみ川上流北野きたの川の東岸段丘平坦地、杉の社叢中に拝殿・本殿がある。北野・中野両集落の中間で、北野集落の南端に一の鳥居、社叢中に二の鳥居がある。祭神天満天神。祭日八月二五日。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「北野神社」の解説

北野神社
きたのじんじゃ

京都市上京区馬喰町にある神社。祭神は菅原道真
北野天神・北野天満宮ともいう。道真が大宰府で死んだのち京中に異変がしばしばおこり,これを道真のたたりとし,10世紀中ごろこの地に道真を祭ったのに始まる。中世以降,学問の神として有名。またこの社の神人 (じにん) の酒麴座は中世商業史上著名である。1067年造営の本殿は代表的な権現造 (ごんげんつくり) で,国宝。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北野神社」の意味・わかりやすい解説

北野神社
きたのじんじゃ

京都市上京区に鎮座する元官幣中社。北野天神,北野天満宮ともいう。祭神は菅原道真。王城鎮護の神社。本殿,石の間,拝殿および楽の間は国宝に指定され,『北野天神縁起絵巻』 (国宝) など文化財を多く蔵している。例祭8月4日。

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世界大百科事典(旧版)内の北野神社の言及

【北野大茶湯】より

…北野の大茶会ともいう。1587年(天正15)10月1日,豊臣秀吉が京都北野神社の神域と松原において,広く人々を集めて催した開放的な大茶会。秀吉は宮中,名護屋の陣中などにしばしば茶会を開いたが,中でもこれはとくに盛大で,史上最も有名な茶会でもある。…

【北野天満宮】より

…また,豊臣氏は社殿を造営し,徳川氏もさらに庇護を加えた。明治になって官幣中社北野神社と改名されたが,第2次世界大戦後,旧名(北野天満宮)に復した。社務の別当職は1004年(寛弘1),比叡山の僧是算(ぜさん)が補せられたのに始まり,天仁年間(1108‐10)寺号を曼殊院と号し,明治維新まで続いた。…

※「北野神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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