江頭湊
えがしらみなと
[現在地名]近江八幡市江頭町
水茎の入江に面し、中世から近世にかけて湖上水運の拠点として栄えた湊。近代陸上交通の発達と干拓によって機能を失い、昭和五二年(一九七七)には入江も水田化された。天正一三年(一五八五)と思われる六月一四日の長野政勝書状(西川文書)によれば、甲賀郡水口(現水口町)に封じられた中村一氏が水口岡山城を築くにあたって大溝城(現高島郡高島町)の古材を運んだ際、小材や瓦は船木湊へ、巨材は当湊へ運び上げており、水深が深かったようである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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