江頭村(読み)えがしらむら

日本歴史地名大系 「江頭村」の解説

江頭村
えがしらむら

[現在地名]近江八幡市江頭町・まる内町うちちよう

十林寺じゆうりんじ村の西、日野川右岸にあり、南は十王町じゆうおうまち村、北は水茎みずくき入江に面する。入江には湊が設けられ、また朝鮮人街道が南西北東に走る水陸交通の結節点で、近世初頭より町として賑った。永禄一一年(一五六八)二月二七日の浅井長政申談書(山中文書)に「ゑかしら」とみえ、浅井長政は当地などを与えることを約し、山中大和守(俊好か)に与同するよう誘っている。天正四年(一五七六)七月二九日の大工職譲状(江頭共有文書)にも「邇保之内江頭村」とある。


江頭村
えがしらむら

[現在地名]佐伯市長良ながら 江頭

鵜山うやま村の東、堅田かたた川とその分流大越おおこえ川に挟まれて位置。天正一四年(一五八六)一一月、栂牟礼とがむれ城を襲った島津軍は堅田に入り、江頭などで佐伯惟定勢と戦い敗走した(大友家文書録)正保郷帳に村名がみえ、田高八三石余・畑高六六石余、堅田郷に属した。その後の郷帳類では堅田村に含まれたと思われる。元禄見稲簿でも堅田村のうちで無高。享和三年(一八〇三)の郷村仮名付帳(佐伯藩政史料)でも堅田村の枝郷とある。


江頭村
えがしらむら

[現在地名]佐賀市鍋島町なべしままち大字八戸溝やえみぞ字江頭

東は八戸溝村、西は江里えり村・荻野おぎの村と接し、掘割の水に囲まれて立地する集落で水田地域。文化一四年(一八一七)の郷村帳によれば、村内に西八田・薙町・大渡荒巻地名がある。隣村江里村とともに、江すなわち嘉瀬かせ川の流路が少しずつ東から西へ移動していった過程を示す地名と思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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