池上新田(読み)いけがみしんでん

日本歴史地名大系 「池上新田」の解説

池上新田
いけがみしんでん

[現在地名]川崎区池上新いけがみしん町一―三丁目・昭和しようわ一―二丁目・塩浜しおはま一―四丁目・四谷上よつやかみ町・四谷下よつやしも町・だい

南東は海に臨み、西は大師河原だいしがわら村、北は稲荷いなり新田村に接する多摩川河口の新田村。「風土記稿」には小字として入江いりえさき中富耕地なかとみこうち鷹取下たかとりした五段分ごたんぶんが記され、ほかに堤外ていがい上冥加耕地かみみようがこうち拝領地はいりようち塩留耕地しおどめこうち再開浜さいかいはまなどがある(「池上新田絵図」中原図書館蔵)。宝暦一二年(一七六二)三月の池上新田と命名につき申渡(県史七)に村名がみえる。

開発者池上氏は荏原えばら郡池上(現東京都大田区)を本貫とする鎌倉時代以来の旧家で、幸広の代に大師河原村へ移り稲荷新田を開発、その孫幸豊により当村が開発された。幸豊は享保三年(一七一八)に生れ、大師河原村名主となり、儒者成島道筑に師事、新田開発のほか和製砂糖・氷砂糖の製造、芒硝製造、製塩、果樹栽培、絹織りなど殖産興業に尽した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報