川中島(読み)かわなかじま

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

川中島
かわなかじま

長野県北部,長野市犀川千曲川合流点付近の地。北国街道北国西街道分岐点で,交通上,軍事上の要地にあたり,戦国時代には有力武将により再三争奪の地となった。特に上杉謙信武田信玄川中島の戦いの場として有名で,激戦地であった八幡原には八幡神社や三太刀七太刀跡,首塚などがある。

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百科事典マイペディアの解説

川中島【かわなかじま】

長野県更級(さらしな)郡の旧町で1966年長野市に編入。千曲川と犀(さい)川の合流点付近の扇状地上にあり,北国街道が通じる要衝として争奪が繰り返され,特に川中島の戦は有名。首塚や太刀の碑が残る。米,リンゴ,野菜の栽培が盛ん。
→関連項目長野盆地

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大辞林 第三版の解説

かわなかじま【川中島】

長野市南部、千曲川ちくまがわと犀川さいがわにはさまれた、合流点付近の地名。古戦場として名高い。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

川中島
かわなかじま

長野市街地の南方約5キロメートルの地点で、千曲(ちくま)川と犀(さい)川の両河川に挟まれた一帯の地域。この一部に旧川中島町があった。現在は長野市川中島町。戦国時代甲斐(かい)の武田信玄(たけだしんげん)と、越後(えちご)の長尾景虎(ながおかげとら)(後の上杉謙信(うえすぎけんしん))が戦った「川中島の戦い」の古戦場として名高い。千曲川を隔てて松代(まつしろ)と相対している。合戦当時は両河川の河川敷や原野であったが、いまは水田やリンゴ畑の純農村部をなす。合戦の中心地は八幡原(はちまんばら)史跡公園として整備され、一角に市立博物館が設けられている。公園の森の中に八幡社が祀(まつ)られ、三太刀七太刀(みたちななたち)跡や、近くに戦死者を葬った首塚と伝えられるものがある。扇状地にはJR信越本線、国道18号などが通り、長野市からバスが網状に走っていて交通の便はよい。[小林寛義]
『桑田忠親著『川中島古戦場の旅』(1969・秋田書店)』

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世界大百科事典内の川中島の言及

【河内国】より

…旧国名。現在の大阪府の西北・西南部を除いた大部分の地域にあたる。
【古代】
 畿内に属する大国(《延喜式》)。河内国の名称は北境にあたる淀川の〈川の内の方〉という意味に基づくと考えられている。記紀をみるとこの国名のほかに〈大河内(おおしこうち)〉〈凡河内(おおしこうち)〉の名がみえるが,大化前代に国造(くにのみやつこ)であった凡河内氏の勢力地であったことによるもので,この名称のほうが古く,そのときの地域は後の河内国よりも広範囲にわたり,和泉・摂津に及ぶものであったと推測される。…

※「川中島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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