池治村(読み)いちじむら

日本歴史地名大系 「池治村」の解説

池治村
いちじむら

[現在地名]喜界町池治いけじ

島中しまなー村の北西に位置する。正保琉球国絵図には当地辺りに「大船出入なし」と記載され、湊津の機能があったことが知られる。元禄五年(一六九二)の喜界島帳留(列朝制度)に村名の記載がなく、島中村のうちであったと考えられる。近世の半ば頃に島中村からの移住によって開かれたとされ、主導者となった仙幸は島建ての祖として尊崇されたという。旧暦一月一五日に保食ほうしよく神社で豊作祈願があり、社前で八月踊が行われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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