朝日日本歴史人物事典 「池部啓太」の解説
池部啓太
生年:寛政9(1797)
幕末の洋式兵学者,砲術家。肥後(熊本)藩士。諱は春常。如泉と号した。啓太は通称。長崎に赴き末次忠助について蘭学を学び,さらに高島秋帆の父四郎茂紀の門に入って荻野流,天山流砲術を修得し,天保10(1839)年国に帰って肥後藩の兵制改革に尽力した。なお弾道学について造詣が深く,わが国最初の空気抗力測定による射擲表を著している。天保13年高島秋帆の疑獄事件に連座して投獄されたが,獄中において塗椀の漆を粉にして墨汁を,捕らえた鼠の髭を抜いて筆を作り,これを使って三角関数表の『割円四線表』とニュートン物理学の理論による『万動理原』を執筆した。
(所荘吉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報