沖之須村(読み)おきのすむら

日本歴史地名大系 「沖之須村」の解説

沖之須村
おきのすむら

[現在地名]大須賀町沖之須

西大淵にしおおぶち村の東に位置し、南は遠州灘に臨む。沖之洲とも書いた(郷里雑記)。かつて当村周辺は海で、洲が今のような村になったのが村名の由来という(「郷里雑記」など)。戦国期には興洲とみえる。永禄四年(一五六一)八月二日の今川氏真判物(海老江文書)によると、海老江菊千代に安堵された遠江所々新田のなかに「興洲」とみえ、湊を掘築して海近くの水損であった田地を再開発し、その得分の一部や舟の係留・出入りにかかわる権益を得ている。江戸時代の領主の変遷は西大淵村と同じ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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