沢海城跡(読み)そうみじようあと

日本歴史地名大系 「沢海城跡」の解説

沢海城跡
そうみじようあと

[現在地名]横越村沢海

阿賀野川小阿賀野こあがの川の分岐点の横越島の最も高所を利用してつくられた城。

新発田藩祖溝口秀勝の次男善勝が一万二千石の分知を受けて、慶長一五年(一六一〇)城館を定め、沢海藩が成立。藩領は一万二千石が越後国蒲原郡内、善勝旧領分二千石が上野国甘楽かんら郡内にあった。越後国内は沢海村を中心に小杉こすぎ村・木津きつ村、江口えぐち村・割野わりの村・嘉瀬かせ村・酒屋さかや村・和田わだ村・舞潟まいがた村・平賀ひらが(現新潟市)茅山ちのやま村・下早通下組しもはやどおりしもぐみ上早通かみはやどおり村・下早通村・鵜子うのこ村・泥潟どろがた村・長潟ながた村・丸潟まるがた(現亀田町)橋田はしだ村・尻上しりあがり村・四ッ屋よつや村・小熊おぐま(現五泉市)あさひ村・満願寺まんがんじ(現新津市)保内ほない(現三条市)下条げじよう(現北蒲原郡水原町)新飯田にいだ(現白根市)の二七ヵ村であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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