日本大百科全書(ニッポニカ) 「沢瀉模様」の意味・わかりやすい解説
沢瀉模様
おもだかもよう
和風植物模様の一つ。オモダカは水田、池沢に自生するクワイに似た水草で、夏に白い3弁の花をつける。平安後期の作品である『沢千鳥螺鈿蒔絵小唐櫃(らでんまきえこからびつ)』(金剛峯寺(こんごうぶじ))の、沢の点景の一つに沢瀉が描かれているが、おそらくこのころから初夏を彩る模様として実用されたものと思われ、衣服や車の模様に用いられた。別名勝軍草ともいい、武家には吉祥(きちじょう)とされ、源平時代には、沢瀉威(おどし)の鎧(よろい)が武将たちの間に流行した。豊臣秀次(とよとみひでつぐ)は馬印(うまじるし)にこれを用いた。また毛利元就(もうりもとなり)は、沢瀉に蜻蛉(せいれい)(トンボ)のとまっているのに気がついたおりの渡河戦に勝利を得たのを記念し、家紋を沢瀉に改めたといわれる。
図案としては、葉と葉柄とだけからなるものを「沢瀉」、葉と花をあわせたものを「花沢瀉」、水や岩を添えたものを「水沢瀉」「岩沢瀉」という。江戸時代の大名では、毛利、水野、土井、奥平、酒井家などが家紋として用いた。また江戸中期には、水に沢瀉とか、雁(がん)、白鷺(しらさぎ)に沢瀉といった模様が小袖(こそで)の意匠に流行した。
[村元雄]