沢田節蔵(読み)サワダ セツゾウ

20世紀日本人名事典 「沢田節蔵」の解説

沢田 節蔵
サワダ セツゾウ

明治〜昭和期の外交官



生年
明治17(1884)年9月9日

没年
昭和51(1976)年7月4日

出生地
鳥取県岩美町

学歴〔年〕
東京帝大法学部〔明治42年〕卒

経歴
明治42年外務省に入り、電信課長、文書課長、英大使館書記官、米大使館参事官・ニューヨーク総領事を経て、昭和5年国際連盟日本事務局長、9〜13年ブラジル大使となり14年退官。この間、ブラジルでの排日機運の緩和及び経済協力に尽力。太平洋戦争中は鈴木貫太郎内閣顧問を務めた。戦後24年東京外国語大学長となり、29年ユネスコ総会日本代表を務めた。その後日本文化放送会長、日伯中央協会長、世界経済調査会長、日赤顧問などを歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「沢田節蔵」の解説

沢田節蔵 さわだ-せつぞう

1884-1976 明治-昭和時代前期の外交官。
明治17年9月9日生まれ。沢田廉三(れんぞう)の兄。明治42年外務省にはいる。中国,イギリス,アメリカに在勤し,昭和5年国際連盟日本国事務局長となる。9年ブラジル大使。戦後,日本文化放送協会(文化放送の前身)会長,東京外大学長を歴任。昭和51年7月4日死去。91歳。鳥取県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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