河内谷村(読み)かわうちだにむら

日本歴史地名大系 「河内谷村」の解説

河内谷村
かわうちだにむら

[現在地名]美山町大字河内谷

知井ちい一二ヵ村の一。由良川の支流河内谷川に沿う山間集落。北へ河内谷川を下ると由良川との合流点になか村があるが、四方山に囲まれる。古代は「和名抄」に記す弓削ゆげ郷に属し、鎌倉時代以降は知井庄の地。

慶長七年(一六〇二)幕府領、寛文四年(一六六四)より篠山藩領となるが、山林は享和二年(一八〇二)より禁裏御料となり京都代官の支配を受けた。元禄一三年(一七〇〇)丹波国郷帳、天保郷帳に村名の記載なく、中村に含まれていたと考えられる。しかし江戸末期には独立村となったらしく、旧高旧領取調帳によれば、高九九・三九四石となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む