知井庄(読み)ちいのしよう

日本歴史地名大系 「知井庄」の解説

知井庄
ちいのしよう

知見谷ちみだに川流域を荘域とする。もと弓削ゆげ(現京北町)の加納地(出作により新しく開かれた土地)であったと思われる。領有関係は不明確だが、室町時代には一部が鹿王ろくおう(現京都市右京区)領となっている。史料により知伊とも記す。

荘園の開発・立券の時期はつまびらかでないが、二つの伝承がある。一つは允恭天皇の皇子木梨軽皇子が、丹波国桑田郡の河内谷かわうちだにに潜居後、由良川流域を順次開墾、その一ヵ所が知井庄である、というもの。一つは香賀三郎兼家に関するもので、和銅六年(七一三)頃、知井庄と弓削庄の境にあたる八丁はつちよう山に、八頭一身の巨鹿が生息し、都にまで出没人心を脅かしたので、元明天皇の命を受けた香賀三郎が八丁山に赴き巨鹿を射止めたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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