河原城村(読み)かわはらじようむら

日本歴史地名大系 「河原城村」の解説

河原城村
かわはらじようむら

[現在地名]羽曳野市河原城・桃山台ももやまだい三―四丁目など

埴生野はにうの新田の西にあり、東除ひがしよけ川を挟んで郡戸こおず村に対する。東除川左岸には元弘の乱の折、楠木正成の部将であった河原弘成が築いたと伝える河原城跡があり、この城跡から地名が生れたとみられる。河原氏は百済から渡来した河原氏の末裔といい、「続日本紀」神亀二年(七二五)七月五日条に、河内国丹比たじひ郡の人川原椋人子虫らが河原史の姓を賜るとある。誉田こんだの俳人一十が、「河内鑑名所記」に「魚鱗にやいくさミたれの河原城」なる句を寄せている。現在の丹比たんぴ小学校の近辺には東除川に沿って、城ノ前・城ノ下・城山・城ノ北・城ノ西・城ノ南・城脇あるいは、北屋敷・鐘ヶ辻といった小字名が残る。いずれも河原城に関係する地名と推測される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android