埼玉県南部、入間(いるま)川をまたいで広がる市。1954年(昭和29)入間川町と入間、堀兼(ほりかね)、奥富(おくとみ)、柏原(かしわばら)、水富(みずとみ)の5村が合併して市制施行。市名は狭山茶の生産地であることによる。入間川の沖積低地を挟んで、東の武蔵野(むさしの)台地と西の入間台地が相対す。西武鉄道新宿線、同池袋線と国道16号、299号、407号が通じ、首都圏中央連絡自動車道の狭山日高インターチェンジがある。中心市街地入間川は鎌倉街道の要地で、渡河地点でもあり、江戸時代には2、7の日に六斎市(ろくさいいち)が立ち、農産物の集散が行われた。明治時代は製茶、製糸業が盛んであり、農村地域では野菜とくにゴボウの生産が多かった。第二次世界大戦前の1938年(昭和13)から、南部の台地に陸軍航空士官学校が建ち、戦後はアメリカ軍基地(ジョンソン基地)とかわり、現在は航空自衛隊入間基地となっている。
周辺の台地は、東京近郊の野菜産地で、とくにサトイモ、ホウレンソウの生産が際だって多い。中でもサトイモは質がよく、都内の高級料亭などに出荷されている。また、茶の生産も多く、県下では上位の生産量をもつ。1962~1967年に市北東部から川越(かわごえ)市にかけて川越狭山工業団地が形成され、また1973年に西部の入間台地に狭山工業団地が造成された。2001年(平成13)では、本田技研工業をはじめとする従業者4人以上の事業所は241、製造品出荷額等は1兆2686億円で県下第1位となっている。県の史跡として、七曲井(ななまがりのい)や堀兼の井などがあり、地下水の深いことを示す。また、こども動物園、植物園、体育館などがある智光山公園、市立博物館があり、さやま大茶会で知られる稲荷山(いなりやま)公園や古刹(こさつ)広福寺があり、入曽(いりそ)の獅子舞(ししまい)、梅宮神社の甘酒祭など民俗芸能も多く残っている。面積48.99平方キロメートル、人口14万8699(2020)。
[中山正民]
『『狭山市史』全10巻(1982~1996・狭山市)』
大阪府南部、大阪狭山市の町制時代の名称。1987年(昭和62)市制施行とともに改称した。
[編集部]
埼玉県南部の市。北西流する入間(いるま)川をはさんで武蔵野台地と入間台地にまたがる。人口15万5727(2010)。1954年入間川町と入間,堀兼,奥富,柏原,水富の5村が合体,市制。中心の入間川は鎌倉街道が入間川を渡る地点の集落として起こり,江戸時代は2・7の六斎市が立った。逃水(にげみず)という地名や堀兼井,七曲井の遺構などに,水の乏しい武蔵野台地の特性がよく表れている。1895年に,川越鉄道(現,西武新宿線)が開通した。都心から40km圏にあるので近年住宅地化が進行し,人口が1970-95年に2.7倍に増えた。1965年国道16号線沿いに県下最大の川越狭山工業団地が造成され,自動車,食品などを中心とした県下最大の工業都市に発展した。台地上では特産のニンジン,ゴボウ,狭山茶の栽培が盛んである。1938年設けられた陸軍航空士官学校は戦後,アメリカ軍のジョンソン基地となったが,63年全面返還されて今は航空自衛隊入間基地となっている。入間川左岸の入間台地にはゴルフ場もある。圏央道のインターチェンジがある。
執筆者:新井 寿郎
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