河守城跡(読み)こうもりじようあと

日本歴史地名大系 「河守城跡」の解説

河守城跡
こうもりじようあと

[現在地名]大江町字河守 城山

河守の背後山麓台地にあり、展望に優れる。中世新治氏の居城という。付近に館跡と伝える地もあり、その辺りを殿町とのまちとよぶ。

新治氏の祖新治定照は、いちたに(現兵庫県神戸市須磨区)の合戦に源範頼に従って軍功をあげ、文治二年(一一八六)頼朝から丹波たには大野おおの郷・新治にいはり(現中郡、一説に本箇・大野二荘とも)の地を与えられ、新治城(跡地は現中郡峰山町)を居城としたと伝える。

河守城は定照から一〇代目の新治近照が、一色満範が丹後守護の頃築いたというが、確かなことは不明。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む