日本歴史地名大系 「加佐郡」の解説
加佐郡
かさぐん
現在は一郡一町であるが、かつては舞鶴市全域・宮津市
地名は藤原宮出土木簡に「丙申年七月旦波国加佐評□□」とみえるのが早い。「丙申年」は持統天皇一〇年をさすと考えられる。「日本書紀」天武天皇五年九月条には「訶沙郡」、寿永三年(一一八四)四月一六日付平辰清所領寄進状案(東寺百合文書)には「伽佐郡」とみえるが、「延喜式」神名帳・「和名抄」に「加佐郡」とあり、一般には「加佐」を用いたと思われる。「延喜式」(武田本)神名帳は「カサ」と訓じている。
なお京都白川家に伝来したと称する「丹後風土記」残欠は地名の由来について
と述べ、古くは「笠郡」と記し「宇気乃己保里」と訓じたという。「宇気」とは丹後にゆかりの深い豊宇気大神によるが、「笠」は「かさ」と訓じるので誤って「加佐」と記すようになったとする。もとより地名説話にすぎない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報