日本歴史地名大系 「河田庄・幸田郷」の解説 河田庄・幸田郷こうだのしよう・こうだごう 千葉県:市原市河田庄・幸田郷三重(みえ)山(音信山)の北東方、養老(ようろう)川流域に比定される。文明一二年(一四八〇)一一月二八日の戒法躰並客人対面抄写(金沢文庫文書紙背荒神祭文奥書)に佐是(さぜ)郡河田庄とみえ、庄内の常楽(じようらく)寺の鏡心が老眼ながらこれを書写したという。永禄七年(一五六四)一二月八日の薬師堂鰐口銘に作是郡河田郷坂中薬師堂とある。当郷は江戸時代には幸田郷・幸田村と表記され、岩(いわ)村・藪(やぶ)村・外部田(とのべた)村・久保(くぼ)村・駒込(こまごめ)村・山口(やまぐち)村・大作(おおさく)村などを総称したらしい。寛文二年(一六六二)三重山を入会とする皆吉(みなよし)村に対して、幸田村としてその前例はないと退け、まとまりをみせているが(山口区有文書)、同一二年幸田郷内の山口村と原田(はらだ)村・駒込村など四村との野論が起きている(同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by