日本歴史地名大系 「久保村」の解説
久保村
くぼむら
東は
近世初めは幕府直轄領。寛永一〇年(一六三三)旗本植村・比企領の二給。元禄一五年(一七〇二)医師太田法印道寿領と植村領を継承した旗本朝岡領の二給。文化九年(一八一二)以後幕府直轄領および旗本朝岡・富士・西尾領の四給。田園簿では田三〇八石余、畑一〇五石余。
久保村
くぼむら
韮生郷に属し(江戸時代後期に分離)、天正一六年(一五八八)の韮生谷地検帳にはクホノ村・北地ノ村・上クホノ村・ヤスノウノ村・ぬる井ノ村・中内ノ村・影ノ村・小浜ノ村・東久万山村・西久万山などの小集落が記され、すべてが窪名とある。
久保村
くぼむら
久保村
くぼむら
久保村
くぼむら
久保村
くぼむら
- 静岡県:磐田市
- 久保村
中泉村のうち八幡社(現府八幡宮)の社領をさす。東西を中泉村に挟まれ北は
慶長九年中泉村とは別個に行われた検地の中泉神領御縄打水帳(秋鹿家文書)によると、高二五〇石余のうち本田二二五石余・新田二五石余、反別は本田二二町九反余・新田五町余。
久保村
くぼむら
久保村
くぼむら
久保村
くぼむら
久保村
くぼむら
西は西流する
久保村
くぼむら
久保村
くぼむら
久保村
くぼむら
天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡御蔵入目録写(秋田家文書)に「弐百九拾四石六升三合 くほ村」とあり、太閤蔵入地であった。慶長二年(一五九七)の年貢は「七拾石 但弐ツ成四分」であった(「免目録御蔵入御物成納口之帳」秋田家文書)。文禄元年(一五九二)の秋田実季分限帳(秋田家文書)に「三百八拾三石九斗四升四合 公保村」とあり、慶長六年の秋田実季侍分限(秋田家文書)には「弐百卅三石九斗四升四合 五十目郷内 窪村」とある。
久保村
くぼむら
久保村
くぼむら
久保村
くずくぼむら
享保一八年(一七三三)書上の諏方藩一村限村地図(長野県庁蔵)には「家数四拾七軒 高百弐拾弐石壱斗五升六勺」とある。葛久保村の穀留番所は文政年間(一八一八―三〇)信玄の中ノ棒道甲州口に増設されたといわれ、天明四年(一七八四)及び天保四年(一八三三)の凶年の際の穀留控に、番所を設けた所の一つとしてあげられている。
久保村
くぼむら
- 埼玉県:上尾市
- 久保村
久保村
くぼむら
台村の北から東に位置し、南を
久保村
くぼむら
久保村
くぼむら
久保村
くぼむら
久保村
くぼむら
久保村
くぼむら
久保村
くぼむら
久保村
くぼむら
久保村
くぼむら
久保村
くぼむら
- 三重県:松阪市
- 久保村
久保村
くぼむら
北は
久保村
くぼむら
- 大阪府:貝塚市
- 久保村
久保村
くぼむら
- 千葉県:市原市
- 久保村
久保村
くぼむら
久保村
くぼむら
- 愛媛県:北条市
- 久保村
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の
久保村
くぼむら
- 愛知県:豊川市
- 久保村
久保村
くぼむら
久保村
くぼむら
久保村
くぼむら
- 埼玉県:日高市
- 久保村
久保村
くぼむら
久保村
くぼむら
久保村
くぼむら
- 三重県:松阪市
- 久保村
久保村
くぼむら
久保村
くぼむら
- 大分県:竹田市
- 久保村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報