河辺中村
かわなべなかむら
[現在地名]舞鶴市字河辺中
集落が連続する河辺谷の中で最も河辺川の河口に近い、山を背にした村。集落に対面する小字干田に干田古墳群がある。
古代は志楽郷(和名抄)、中世には志楽庄河辺(河部とも)村の中心地であったと考えられる。地名「河部」は当村にある八幡神社の、天養元年(一一四四)六月四日の年紀をもつ棟札銘に「河部村氏人」とみえるのが初見(ただしこの棟札の真偽については異論がある)。中世には丹後国田数帳に
<資料は省略されています>
とみえ、ほぼ同時期の康正二年造内裏段銭并国役引付に「弐貫文 (中略) 安国寺。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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