油屋熊八(読み)アブラヤ クマハチ

20世紀日本人名事典 「油屋熊八」の解説

油屋 熊八
アブラヤ クマハチ

大正・昭和期の実業家 亀の井ホテル社長。



生年
文久3年7月16日(1863年)

没年
昭和10(1935)年3月27日

出生地
伊予国宇和島(愛媛県)

経歴
米問屋だった父親屋号油屋”を明治になって姓とする。28歳で町会議員になるが、2年後大阪に出て相場師となる。その後、4年間渡米し、ホテルの皿洗い農場の手伝いをし、帰国前に洗礼を受ける。明治末49歳で大分県の別府温泉で旅館経営(亀の井旅館)を始め、またたく間に西洋式の立派なホテルに育てあげる。大正13年法人組織の亀の井ホテルに改称。またバス会社を設立して女性ガイドつきの観光バスを走らせるなど別府を大いに宣伝し、観光地として日本中に知られるようにPRに努めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「油屋熊八」の解説

油屋熊八

没年:昭和10.3.27(1935)
生年:文久3.7.16(1863.8.29)
大正昭和期の実業家。九州別府温泉観光開発先覚者。伊予国(愛媛県)宇和島城下の米問屋油屋正輔の長男。米問屋の経営,町議会議員などを経て,大阪堂島の相場師となるも挫折し,渡米。帰国後は「聖書を読む相場師」となったが,見切りをつけ別府の人となり,亀の井旅館を経営。大正13(1924)年法人組織の亀の井ホテルに発展させ,斬新なホテル経営を展開した。いわゆる地獄めぐりに初めて女性バスガイドを乗せた大型バスを導入し,定期乗合遊覧バス事業を開始し人気を博す。さらに別府とその周辺地域の総合的な観光開発をはかり広域観光の先駆者となる。大分,熊本,長崎を結ぶ今日の「九州横断道路」の建設をすでに昭和3(1928)年に提唱していたことは注目すべきである。<参考文献>志多摩一夫『別府観光開発の偉人 油屋熊八伝』,薬師寺知隴『油屋熊八翁略歴』

(天野雅敏)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「油屋熊八」の解説

油屋熊八 あぶらや-くまはち

1863-1935 明治-昭和時代前期の実業家。
文久3年7月16日生まれ。明治43年郷里の愛媛県宇和島より大分県別府にうつり,亀の井旅館をいとなむ。少女車掌を乗務させる観光バスの経営,九州横断道路建設の提唱など,別府とその周辺地域の総合的な観光開発につくした。昭和10年3月27日死去。73歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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