泉田古館跡(読み)いずみだふるたてあと

日本歴史地名大系 「泉田古館跡」の解説

泉田古館跡
いずみだふるたてあと

[現在地名]浪江町北幾世橋

請戸うけど川北岸に接した比高七―八メートルの台地上にあり、河川の氾濫時には中洲に船を浮べたようになったと思われる。字万海まんかい(満開)にあるため万海城ともよばれる。建武三年(一三三六)頃には「泉田の城主標葉小五良隆連の嫡子標葉孫三良教隆」とある(東奥標葉記)。同年三月三日の相馬光胤着到軍忠状(相馬文書)にも標葉孫三郎教隆の名がみえる。その後裔が泉田氏を称し、明応元年(一四九二)権現堂ごんげんどう城にあった標葉本家が相馬氏に滅ぼされたときには泉田隆直は相馬氏にくみし、その功により相馬氏一族に準ぜられ、胤の文字を与えられ泉田胤直と改めた(東奥標葉記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む